熊代亨『「若作り」うつ社会』(講談社現代新書)

キノシタ66歳。同年代は、再雇用での仕事もそろそろ終了。残された時間をどう過ごしていくのか迫られています。老後と向き合わなければならない年齢です。

どのように年を重ね、終末を迎えるのか? どのような老人として生きていくのか、これが案外難しいんですね。

人生50年と言われていた大正・昭和時代の老人モデルは、平均寿命が80歳を超える平成には当てはまりません。どんなふうに年をとればいいのか困惑しているのが、キノシタを含め団塊の世代の現状ではないでしょうか。その困惑する中で手にしたなかの一冊が『「若作り」うつ社会』です。

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「あとがき」から引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本は当初、『年の取り方がわからない社会』というタイトルで世に出る算段でしたが、「もっと訴求力のあるタイトルを! 」的な諸事情が重なって、最終的に『「若作りうつ」社会』という名前になりました。ただ、初志貫徹は達成したといいますか、内的には、若作りでメンタルヘルスを損ねてしまう人の話だけでなく、もっと広範囲なエイジングや世代再生産の問題をまとめることができたと思っています

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キノシタ、『年の取り方がわからない社会』というタイトルのほうが良かったかも(^_^;)と思います。


・・・・・・・・・・・・・・・8 老年期「統合性vs絶望」から引用・・・・・・・・・・・・・・・

命の循環には終わりがありませんが、個人の人生には必ず終わりがやってきます。老衰 に直面し死に思いを馳せる状況下で自分にはこの人生しかありえずこれでよかった」という境地に至るのか? それとも「この人生には意味がなかった」と絶望するのか? このどちらに転ぶかを、エリクソンは「統合性vs絶望」と表現しました。

これまでの七段階とは違って、老年期を迎えた人には残された時間は少なく、身体的制約が日増しに厳しくなっていきます。そのため「これから何をするか」は限られた意味しか持たず、人生の善し悪しは 「これまで何をしてきたのか」によって印象づけられがちです。エリクノンは、ここまでの発達課題を十分こなしていれば円熟と平安の境地が達成され、いずれやてくる死の痛みは失われると表現しています。またそういうお年寄りの存在が若年世代の人生への恐れを軽減し、次世代の(特に乳児期の)信頼の構築に寄与する、とも述べています。

ところが自分自身にしがみつき続けたままの老年期にはそうした救いがありません。−衰弱一途の身体では、若作りも自己実現も困難ですし、どれほど栄華をきわめていようが、死ねば手許に何も残りません。これまでの人生行路のなかで年少者に分け与えることに喜びを感じてきた人には 「自分が死んでも世界は終わらず、バトンは下の世代に受け継がれていく」というささやかな実感が残されますが、自分の成長や栄華だけが全てという人にとって、死とは「自分が死んだら世界が終わり」「死ねば後には何も残らない」虚無そのものです。−日本は世界一の長寿国となり、たいていの人が八十歳近くまで生きるまでになりましたが、不老不死になったわけではありません。

これがエリクソンの想定する「統合性vs絶望」ですが、今後はますます達成が難しくなると推測されます。なにしろ、年の取り方がわからない社会が到来し、成人期以前の発達課題が軒並み難しくなっているのですから。思春期を引っ張り続ける成人、自由ではあっても孤立した成人が増え続けている以上、数十年後、老いや死と孤独に向き合わなければならないお年寄りは今以上に増え、彼ら−つまり未来の私達−の心身のコンデイションは、今まで以上に孤立に苛まれたものになりそうです。

加えて、現代のお年寄りには今までになかった問題が降りかかります。たいていの人が八十歳近くまで生きられるようになった反面、お年寄りは認知症の影に怯えなければならず、孤立したなら孤立したなりに、家族があるならあるなりに心配しなければならなくなりました。若さを至上とする社会風潮のなか、お年寄りをリスペクトする精神は衰退し、少なくともお年寄りが無条件で尊敬されるような時代は終わりました。

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<これまでの人生行路のなかで年少者に分け与えることに喜びを感じてきた人には 「自分が死んでも世界は終わらず、バトンは下の世代に受け継がれていく」というささやかな実感が残されます>という記述は、同感です。

そういう実感をもてる仕事に就けたのは、そしてまた今も形を変えて続けられるのは、幸せであり有難いことだと言うしかありません。