阿部彩「子どもの貧困」(岩波新書)

今日、朝日新聞にこんな投書が載りました。定時制高校元教員によるものです。

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  「水道料金 軽減されないとは」元高校教員酒井慶助(静岡県69)

 私は定時制高校の教師でした。水道を止められた経験のある生徒が何人かいました。公園でバケツに水をくんで生活していたそうです。授業で私は「人権とは自分が人間として大切にされる権利。少なくとも中学生以下の子どものいる家の水道は止めないような社会にしよう」と話しました。
 消費増税時に何を税率8%に据え置くかが「軽減」という言葉で議論され、食品と外食の線引きが論議されています。何かおかしいと思います。それは、水道が「軽減」の対象にさえなっていないことです。
 そもそも水道は消費税の対象外にすべきではありませんか? 軽減問題は政局で左右されていると言われていますが、議論に当たる人たちには、水道が止められてバケツを持って公園に通う子どもたちの姿は見えていないのでしょう。
 水道やガス、電気にも消費税がかかり、さらに10%にしようとしていることが私には不思議でなりません。悲しく思います。バケツを持って公園に行く子どもを一人でも減らしてください。
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僕も公立高校の教諭時代、多くの貧困家庭の生徒と関わった経験があります。修学旅行代金が払えずみんなと一緒に行けない子、卒業アルバム代金が払えない生徒、料金滞納で家の電気やガスが止められ、水風呂に入っているとつぶやく女子もいました。

当時、命に直接関わる水道は、料金未納でもすぐは止められはしなかったと思います。(投書では、その水道すら止められたというのだから事態は深刻)夜中も借金取りがやって来ておちおち寝ていられず、学校だけが安心して寝られる場所の子もいました。生徒も家計を支えるためアルバイトを掛け持ちする、そんな家庭の子どもたちは勉強どころではありません。

生徒の家にも、区役所の福祉関係部署にもずいぶん足を運びました。先生というより半分ソーシャルワーカーみたいであったかもしれません。学力の立て直しよりも、まず暮らしの立て直しが先決であるという判断は正しかった、と今でも思っています。

阿部彩「子どもの貧困」(岩波新書)の発行が2008年。問題提起は古びるどころか、ますます広がりをみせています。

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

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繰り返すが ここでいいたいのは「完全な平等」がなくてはならないということではない。本書の主張は以下の二点である。

 第一に子どもの基本的な成長にかかわる医療、基本的衣食住、少なくとも義務教育、そしてほぼ普遍的になった高校教育(生活)のアクセスを、すべての子どもが享受するべきである。「格差」がある中でも、すべての子どもに与えられるべき最低限の生活がある。これが「貧困基準」である。本書の題名が「子もの格差」ではなく「子どもの貧困」である理由はここにある。これは、「機会の平等」といった比較の理念ではなく「子どもの権利」の理念に基づくものである。

 第二に、たとえ「完全な平等」を達成することが不可能だとしても、それを「いたしかたがない」と許容するのではなく、少しでも、そうでなくなる方向に向かうように努力するのが社会の姿勢として必要でないだろうか、ということである。その点で、日本の社会、そして、日本の政府は子どもの貧困について、今まであまりにも無頓着であった。「一億総中流」という幻想に、社会全体が酔わされていたように思う。

 しかし、特に第二の主張に関しては、その「努力」をするために、どこまで財政投入をするべきかという疑問は残る。日本の厳しい財政事情の中で、貧困の子もに財源を投入することが賢明かということについて懐疑的な読者に対して、いくつかの反論を簡単に述べておこう。

 まず「機会の平等」が達成されていないことは社会としての損失である。一等であるべき者が一等とならず、二等の子が一等となれば、社会全体としてレベルダウンするのは当然の成り行きである。つぎに、何割かの子もが将来に向けて希望をもてず努力を怠るようなこととなれば、社会全体としての活力が減少する。格差ある中でも、たとえ不利な立場にあったとしても、将来へ希望をもてる、その程度の格差にとめなくてはならない。子もの貧困に対処することは、その子自身の短期・長期の便益になるだけではなく、社会全体の大きな便益となるのである。

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