門倉貴史「ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る」(宝島社新書)

次から次へとワイドショーを賑わす社会的・政治的話題が湧いてきて、貧困・格差の深刻な問題の影が薄くなっていますが、年収200万円以下で暮らす人の割合は、この本が書かれた2006年以降も減っていません。プアになるのは本人の努力不足?自己責任?そんなことで片付けられない背景が明かになります。

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る (宝島社新書)

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る (宝島社新書)

.............................あとがきより引用............................

 ただ、筆者が読者のみなさん、とくに「ワーキングプア」ではない人に是非とも強調しておきたいのは、「ワーキングプア」は決して対岸の火事ではないということだ。正社員非正社員にかかわらず、日本国内で働いているすべての人が、いつでも「ワーキングプア」の状況に陥るリスクを抱えてる。たとえ正社員であても、企業の終身雇用制度の維持が難しくなってきた現在では、そうしたリスクと無縁とはいえない。実際、本書でも紹介したとおり、かつて正社員としてバリバリ働いていた人が会社のリストラなどで突然、「ワーキングプア」になってしまったという事例はたくさんある。
 もちろん、なにをもって「豊か」とするかという点については、それぞれの個人が独自の価値基準にしたがって解釈することであり、「収入が少ないからといって、別に大きな問題としてとらえる必要もないではないか。心が豊かであれば収入なんて関係ない」と考える人もいるだろう。
 しかし、それも程度の問題である。家族4人暮らしで年収が200万円に満たない、あるいは 100万円に満たないという悲惨な困窮状況に陥れば、本来国家によって保障されるべき、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をも奪われかねないのだ。突然今日・明日の食事を心配しなくてはならない状況に陥っても、なお「心が豊かであるからお金がなくても問題はない」といった悠長なことを、いったいどれだけの人が言っていられるのだろうか?
 ひとつの社会における「ワーキングプア」の増加は、「ワーキングプア」に陥ってしまった人たちだけのミクロの問題にとどまらない。今後も「ワーキングプア」が増加傾向で推移していくことになれば、日本で暮らす人たちすべてが大きなダメージを受けることになるだろう。
 なぜかというと、「ワーキングプア」の人たちは、十分な消費活動をすることができないから、国内の個人消費が不振になる。そうすれば、当然、商品やサービスが売れなくなるので企業の生産活動も滞る。需要減→生産減→需要減というスパイラルが発生して日本全体が縮小均衡に向かう恐れがあるのだ。所得格差が開いて、貧しい人たちが消費しなくなっても、一方でヒルズ族のような富裕層が増加してくるのであれば、全体として個人消費が落ち込むことはないだろうという人もいる。しかし、よく考えてみてほしい。富裕層の人たちは自分の欲しいものをすべて手に入れてしまえば、さらに大きく消費を増やす必要はなくなってくる。そうすれば、やはり、貧しい人の増加が日本全体の個人消費を抑制する要因になるのではないろうか。また、収入が極端に少ないうえ、生活も不安定な「ワーキングプア」の人たちは結婚して家庭を築くことも難しい。こうした人たちが増えていけば、少子化の問題が一段と深刻化するというリスクもある。
 さらに「ワーキングプア」の増加は、政府の税収にもマイナスの影響を及ぼす。税金を払うことのできない階級が増えてくれば、ただでさえ苦しい状態にある日本の財政は一段と悪化していくことになるろう。
 そして、政府が財政再建のために税収を増やそうとすれば、その負担は、豊かな人々の上に降りかかってくることになるのだ。貧しい人の増加は豊かな人たちにとっても、ゆゆしき問題なのである。だから、正社員として働いている人たちも「ワーキングプア」の問題を「自分には関係のないこと」などといわず、どうすればこの問題を解決できるか、もっと真剣に考えていくべきでないか。
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