橘木俊詔「アメリカ型不安社会でいいのか―格差・年金・失業・少子化問題への処方せん 」(朝日選書)

橘木俊詔さんは経済学者。その研究対象は幅広いく、格差の問題に関する著書も多いです。この本もそのうちの一つ。

 格差と教育の関連について、以下のように考えておられます。
 
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<階層分化と教育の問題>
 若者が働くことにさほどの価値を求めず、「モラトリアム」で代表されるように自分が何をしてよいかわからない、といったことの次に重要な論点は、現在わが国において進行中で、かつ論争の的になっている経済格差や階層分化問題である。

 階層分化の鍵をにぎるのは教育なので、教育に関して一言述べておこう。社会階層を規定する一つの大きな変数は、学校教育をどこまで受けるか、といったことである。 大学進学率が高くなった日本では、大学教育を受けたことによって即すべての人が上層階級になるとは決していえないが、大学を卒業することが高卒者よりもいくらか有利な状況であることは変わらない。親の経済的条件という理由だけで大学進学をあきらめる若者がいなくなるように奨学金制度をはじめとした経済支援を行い家計が裕福でない子弟にまで行き渡る政策が必要である。

 この政策は社会階層の流動化も促すことになる。すなわち貧乏な家庭の子弟であっても、本の能力と意志、そして努力があれば高い教育、職業、所得が得られるような社会にすることである。これは、機会の平等を達成する上でも重要なことである。経済力のある親のもとに育った子弟だけが大学に進学できるような時代ではなくなったが、まだまだ貧困層の子供は望んでも進学できない場合がある。これを阻止する方策は、機会の平等を重んじるアメリカのように、奨学金制度が充実した国にすることである。日本の奨学金制度が貧困なことはよく知られていることなので、特に強調しておきたい。

 もう一つの重要な視点は、教育に関することにおいて子供がどれだけの勉強意欲があるかの差が、階層分化と関係があるということである。上層階級の子弟は親の家庭の雰囲気からして、高い教育を受けたいとして勉学。学習に熱心に取り組む可能性が高い。すなわち、親の教育水準と職業水準も高いだろうから、親は自分の子供の教育に熱心であるだろうし、子供も親の姿を見ながら育つから、高い教育への意欲も高い。

 一方、非上層階級の親は経済的に豊かでないだけに、日頃から働くことに時間を奪われて、子供の教育にまで関心が及ばない可能性がある。子供においても高い向上心を持たないかもしれない。これは階級ないし階層の再生産が教育を通じてなされるとする考え方の一端である。

 この再生産の問題は、奨学金の充実といった政策だけでは解決できないことである。なぜならば、そもそも子供が高い教育を受けたいとか、勉学・学習を頑張りたいという希望を持つといったことが、階級や生まれながらの環境による差が原因と考えているからである。能力と意欲のある子供には、たとえ貧乏であっても奨学金の提供によって、教育や学習への希望を満たせうるが、意欲のない子供をどうしたらよいか、といったより深刻な問題が潜んでいるからである。
                              
 この背後には、能力や学力といった問題もからんでいるので、ことはより複雑である。いわば弱肉強食を肯定する社会的ダウイニズムの考え方に近いからである。実はフリーターになる若者の家庭環境は、正社員になる若者の家庭環境より劣つている、と言う論者もいる。これも弱い意味での社会的ダーウィニズムの解釈が可能である。失業やフリーターを余儀なくされる若者に対して、教育の果たす役割のの重要性を社会が教えなければならない。また、社会的弱者のハンディを克服するには、自分が強い意志をもってはねかえすことの意義をわかってもらえるようにする必要がある。

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 著者は、「機会の平等を重んじるアメリカのように、奨学金制度が充実した国にすることである」と提言しています。しかし、アメリカの奨学金制度が、必ずしも素晴らしいとは言えないようです。アメリカの平均的な学生は、卒業時に3万5000~4万ドルのローンを抱えているということで、いろいろな弊害も生じているようです。
「Student Debt Casts Shadow on Future Plans」(https://www.voanews.com/episode/student-debt-casts-shadow-future-plans-3945766)

 国公立大学の授業料を、せめて現行の半額にすべきでしょう。(僕らの時代は月額300円だったかな? それを1000円?にされるときには学費値上げ反対闘争がわき起こったように記憶しています。)

 若者に重荷を背負わせず、のびのびと教育を受けてもらいたいです。