尾木直樹「学力低下をどうみるか」(NHKブックス)

教育評論家尾木直樹さんが、「尾木ママ」と呼ばれる以前の著書です。
今から、やく20年まえ。学力低下論争がありました。

この本は、尾木氏の学校五日制や総合学習ゆとり教育などを擁護する立場の本です。(以下の引用部分は、はしがきからです) 

 

 .............. 引用 .......................................

学力低下
九九九年以来、マスメディア(新聞、テレビ、雑誌等)を中心に嵐のように日本中を吹き荒れた四文字である。
 二〇〇二年の四月から完全学校週五日制の実施も加わって、保護者の七五%もが 「学力低下」を心配している(日本PTA全国協議会調査二〇〇二年八月発表)。
 不安がここまで広範な人々の心に浸透したとなると、もはや流行語では済まされない。各自治体では競い合うように学カチェッククのための「共通テスト」を実施したり、中には学カコンテストまで計画したりしている。せっかく土曜日も、サタデースクールと称して、学校によては七割もの生徒が続々と「登校」し、補習を受講をしている。
 授業の中身やその質などおかまいなしだ。
 「ゆとり」教育は「ゆるみ」であり、「ゆるみ」は学力低下を引き起こすという迷信のような方程式が作られた。つまり、「ゆとり」はいつの間にか「学力低下」の同義語に置き替えられたのである。「ゆとり」の中で学力を向上させることは重要な課題であるにもかかわらず、実に乱暴な論理のすりえである。こうして今や「学力低下」不安は″社会象″化した状態といえる。
 文部科学省までもが、学力低下不安の合唱に抗しきれなくなったのか、ついには学習指導要領は″最低基準”である主旨をくり返し強調。「ゆとり」教育の中で「生きる力」を鍛えるというこれまでの大方針から、「確かな学力」形成の名のもとに全国一七〇〇校に及ぶ「学力向上フロンティア事業」、理科大好きスクール、放課後学習チーター配置、学習意欲向上策(英検・漢検の表彰)等、こまごまとした「基礎・基本」の「徹底」策を打ち出した。
 おかげで、子どもたちの生活に余波が及ぶ。修学旅行や遠足、演劇観賞等は廃止、運動会や文化祭まで隔年実施になるなど、子どもたちが楽しみにしている行事や自主的・自律的活動は大幅に削られた。逆に増えたのは、朝読書や漢字・英語の小テスト、補習のための朝学習、放課後の授業、共通「学力」テストの「練習」等だ  一方でこれまでは日本の教育界では禁じ手であった、できる子を伸ばす「発展学習」や「習熟度別授業」、中・高一貫校の拡大、スーパーサイエンスハイスクール構想などが矢継ぎ早にうち出され、新たな「エリート教育」への道を歩きめた。
 これらは、学力低下論が結果的に引き起こしためまぐるしい混乱現象のほんの一部にすぎない。日を追うごとに、トップグループの経済学部の大学生ばかりでなく、小中学生に至るまで「学力低下」の大合唱の渦に巻き込まれてしまった。子どもたちの生活の変化の実態や、意見を伝える「声」はかき消されてしまっている。辛い思いをさせられるのは子どもたちなのに。
 また完全学校週五日制への対応としての過密な「授業時数確保」策などに対して教師の悲鳴が全国あちこちから聞えてくる。にもかかわらず今回の「学力低下」議論には現場の教師の教の声があまり反映されていない。
 文科省の進める最近の相次ぐ教育改革について、全国の公立中学校の教員、校長約六〇〇〇人のうち、何と九七%もが「もっと中学校現場の現実を踏まえた改革にしてはしい」と要求している。「教育改革のペースが速すぎて、じっくりと取り組む余裕をなくしている」教員は八七%、校長は八五%である(国立教育政策研究所調査二〇〇二年九月二二日付朝日新聞)。
 これらの改革も一貫していればまだ救われる。しかし、実際は次のように現場を苦しめるばかりである。
 「基本的な方向が二転三転するようでは情けない。机上で構想を練るのは一年でも、現場で実施できる下準備には二~三年かかるし、定着するには五年かかる。それを撤回することの大変さを軽く見てはいけない」(三〇代女性教員)。
 「まず一貫した方針が必要だと考える。欠点が見えたかのように文科相の『学びのすすめ』が提案され土曜、補習を公然と認めること等、理解に苦しむ」(五〇代男性校長)(前出紙より)
                                             。                   。
 本書では第五期(戦後)と称される今回の学力低下論とは一体何か。どうして発生したのか。またこれまでの論争とどこが違うのか。あたかも″社会現象”化した「学力低下」論が生んだ現状をまず明らかにしたい。同時に、それらの現象が発生した社会的背景や「基礎・基本」「生きる力」の定義やイメージ、本質は何か。建設的で発展的な学力とその向上の方向を探りたい。中学生や大学生、教師など学校現場の声に耳を傾けながら、学力をめぐる「現状」とその「背景分析」、そして問題点の克服と生きて働く学力獲得への「展望」や具体策について実証的に論じたい。
 今回の「学力低下」論争は、論者の意図はともかく、メディアを通して広範な国民を巻き込んで展開されただけに、大きなゆがみと混乱を生み、現場には多くのツケを残した。 しかし、これらの困難を一刻も早く乗り越えながら、改めて、どのように子どもたちに「生きる力」として機能する学力を養っていけばよいのか、じっくりと考えるべきだろう。本書では、全国の勇気づけられる実践例の紹介にも力を注ぎたい。同時に、地味だがあくまでも未来の主権者としての子どもたちが、二一世紀を切り拓くにふさわしい教養や学力形成へと踏み出せる明確な展望を打ち出すことができれば幸いである。そして乱暴な「学力低下」論争に終止符を打ちたい。
............................................................

長年、高校の教師をしてきた私は、当時のこれらの制度の狙いが、現場の教員の意欲・力量にかなり左右され、必ずしもうまく活かされない実態も多かったように思っています。

しかし、この本の中では、いわゆる進学校の海城中高校、そうでない大東学園高校などでの、生徒たちが生き生きと学習活動を行う実践例が紹介されていて、今でもとても参考になると考えます。