「ソ-シャル・ディスタンス」は、誤用?

月刊誌「本の雑誌」(本の雑誌社)7月号に、翻訳家の青山南さんがサイクリングで、娘さんとお孫さんとで、中野区立哲学堂公園に行ったときのことが書かれています。 

本の雑誌445号2020年7月号

本の雑誌445号2020年7月号

  • 発売日: 2020/06/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 この公園は、東洋大学創立者で哲学者の井上円了がつくった場所なので、あちこちの場所に哲学の言葉にちなんだ名前がついているそうです。

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けっこう走ったので、腹が空いてきた。哲学の無知をたっぷり思い知らされて疲れてもいた。そこで『孤独のグルメ』じゃないが、「店をさがそう!」ということで、ふたたび路上にでるが、これがない! 商店も閉まっているが、ものを食べさせる店も閉まている。
どこかは開いてるだろう、と延々と走る。孫は、お腹すいた、と半泣きになる。結局、中野駅の近くにまで来てしまい、開いていたハンパーガー屋にはいる。小さな店内に客はかなり入っているが、いくつかのテーブルには、「ソーシャル・ディスタンシング」の注意書きが貼ってある。

この言葉については前号に書いた通りだが、「ソ-シャル・ディスタンス」ではなく「ソーシャル・ディスタンシング」をつかっていることに感動。「この店、さいこうにおいしいネ!」と空腹を満たされて喜んだ孫の率直な感想に全面的に賛同する。  
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『この言葉については前号に書いた通りだが』とあるが、全くおぼえていない(>_<)

6月号を引っ張り出してみると、たしかにありました。 

本の雑誌444号2020年6月号

本の雑誌444号2020年6月号

  • 発売日: 2020/05/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 娘と孫とで池袋のジュンク堂に「家庭画報」(ハワイ特集)を買いに行くお話でした。(青山南さんは、僕と同年。娘さんとお孫さんとよくお出かけできてうらやましいなぁ)ちょっと長いですが、引用します。

..................  引用  .................................

4月11日、土曜日。コンピニで見つからないというので娘と孫と池袋のジュンク堂に「家庭報画」を買いに行く。特集が気になったのでぜひ欲しいというのだ。なんの特集か訊くと、こっちも気になった特集なので中身が見たくなり、付き合った。

一階がいつも以上の混雑なのにおどろく。しかも、本をながめているというよりはただ立っているかんじの人の群れ。やがてわかったが、それはレジに向かう人の列で、並ぶ人と人との間隔をすこしでも大きくしようとする店の配慮の結果、いきおい列が長く長くなったのだった。「家庭画報」を探してくる、と娘が孫をつれて雑誌売場に向かい、こっちはその長い列に加わった。列は、じつに、階段の下、地下売場にまでつながっていた。

人と人との間隔をすこしでも大きくしましょう、ニメートルはとりましょう、という感染予防の呼びかけに書店は応じたのだった。このように人との距離をとることを日本のメディアは「ソ-シャル・ディスタンス」と呼び、「社会的距離」と直訳しているところもあった。

日本語が達者な外国人たちがDJをつとめているFMをよく聞いているのだが、そこでも、この言葉はつかわれていた。ただ、言い方が微妙にちがい、かれらは「ソーシャル・ディスタンシング」と言う。いっぼう、ここが興味深いのだが、かれらの相手をする外国語が達者な日本人は「ソーシャル・デイスタンス」と応じている。たとえば、こんなかんじだ 「ソーシャル・ディスタンシングがつづくなかなかつらい毎日ですね」(とDJが英語で言う)
「ほんと、慣れないですよね、ソーシャル・ディスタンスなんて」(と相手が日本語で応じる)

日本人のほうも、ほんとうは、「ソーシャル・ディスタンシング」と言いたいのかも れないが、日本のメディアの多くが「ソーシャル・ディスタンス」と言っているので、しかたなくそれに合わせていたのではないか。なにしろ、この二つのことば、一見したとこ似ているが、その意味するところはかなりちがうのだから、英語が達者な日本人はそれに気がつかないわけがない。

このふたつの言葉のちがいはウィキペディアでも指摘されているが、物流と製造をおこなうある会社のプログでも的確に言及されていた。

「最近耳に聞くSocial Distanceという言葉、あれ?どっかで聞いたことあると思いました。『Social Distance=社会的に距離を置くこと』→特定の人や信条などを排除するイメーで習ったような気します。、                      、

「ですから、この言葉を最近聞いた時、『コロナウイスに感染した人を、社会から追放するのか? それは方法として間違いではないのかな? 発症してない人もいるのに、、』と思い、違和感を感じましたが、自分の解釈が曖味だったんですね。ほっ。。

「『Social Distancing=疾病の感染拡大を防ぐため、意図的に人と人との物理的距離を保つこと』(その距離およそ2mだそうです) →こちらだったんだ。

「なんだか難しいニュアンスの違いです。「WHOではより明確に『物理的な距離を置くだけだよ』と示すために、『Physical Distancing』と表現してるそうです→『これは愛する人や家族との関係を社会的に断たなければならないという意味ではない。我々があえて物理的距離と言い換えているのは、人と人とのつながりは引き続き保ってほしいと思うからだ』と。

「いいこと言いますねえ。距離を保つけど、お互いを思いやっている関係なんですね」(富士宮通運株式会社 http//fujinomiya-tsuun.co.jp/social-distancing-とsocial-distance)

日本人には、外国語を輸入するさい、勝手に短くして、もとの外国人には通じない和製外国語をつくってしまう特技がある。この原稿の冒頭でつかった「コンビニ」もそのひとつで、もとの英語は、カタカナで表記するなら「コンビニエンスストア」。せっかちなんでしょうかね、日本人は。まあ翻訳しているときは 「convenience store」は「コンビニ」という「日本語」に、「department store」も「デパート」という「日本語」に訳してますけど……

「distancing」も、「ing」なんて面倒くさい、とっちまえということになったんだろうが、でも、これかりは意味がガラと変わってしまうんで、要注意だ。外国語が得意な都知事には、さまざまな信条と国籍の人間が住む東京都の知事には、使用のさい慎重にとりあつかっていただきたい。

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たしかに小池東京都知事は、ロックダウン、東京アラートなど横文字がお好きみたい。あんたは、ルー大柴か?と突っ込みたくなります……

まぁ、そんなことはどうでもいいですが、青山さん、物流と製造をおこなう富士宮通運株式会社のプログにまで目を通していらっしゃるなんて、ビックリです。

和製英語、ちゃんと意味が日本人同士で通じていればそれでいいと思いますが、元の言葉を知っておくことも大切ですね。