「いい学校の選び方」(中公新書)

少子化が進む中、私立学校はそれぞれの個性を打ち出し生徒の募集に腐心しています。さらに、公立学校でも学校選択制を導入して、学校活性化の起爆剤にしようとしています。
学校を選ぶときに、どんな点に着目し何を基準に考えればよいのか。吉田新一郎「いい学校の選び方」は、かなり細かく広い観点からチェックポイントを設け、チェックリストやチャートで分かりやすく解説しています。

この本のテーマからはすこし外れますが、教師にとって耳の痛いことが書かれていましたので、抜粋しておきます。

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また私たちは「教える」という行為を必要以上に簡単なものと捉えがちである。大学生のアルバイトでも (つまり、専門的に教えることのトレーニングを受けていない人ですら)、家庭教師や塾の講師ができてしまうほどである。しかし、教えることをそのレベルで捉えてしまっていいのだろうか。

 一方で、私たちは知識の量は膨大なものを持っているのに、それをうまく伝えられない教師をたくさん知っている。その意味では、教えるという行為は「知識」の量や教え方のテクニックだけでなく、生徒一人一人や教える内容へのこだわりといった「姿勢」の部分のウェートがきわめて大きな仕事でもある。しかも、教える相手は医者や弁護士などのように一人ではなく、それぞれが異なる関心やニズや経験、知識を持った多数の生徒たちである。身につくように教えるという仕事は、たいへん困難な仕事と位置づけて間違いない。

教師たちは、このようなもろもろの困難な状況の中で、毎日「子どもたちのため」に力を尽くしてはいるのだが、一方で「ふがいなさ」を感じてしまう存在でもある。この点に関しては、教師たち自身よりも、生徒たちや親たちのほうが厳しい日で見ている。そしてそれが残念なことに「不信感」にもつながっている。その「ふがいなさ」は以下のような点に、特に顕著にあらわれているようだ。

○教え方が下手
○生徒たちの心を惹きつけられない
○教科書どおりで教師の独りよがりがつよく、 一方通行の授業なので、退屈そうに寝ている生徒に対応できない
○生徒たちに優しく接することと、おもったり甘やかしたりすることを混同している
○生徒たちに信頼されていない
○生徒たちと過さずに、職員室の自分の机でパソコンにばかり向かっている
○親とのコミュニケションが成り立たない。
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ふがいない先生が一人もいない、そんな理想的な学校は残念ながらないでしょう。しかし、それらの先生も含めて教師集団としてうまく機能している学校がいい学校だと思います。