梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書)

この本を読んでいて、忘れていた記憶がまざまざと思い出されました。大学の工学部の北側にあった計算機センターに学部生と大学院生時代、毎日のように通っていたときのことを。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

いまのように端末から大型コンピュータに接続していて、まるで自分専用機のように使えるのではなく、プログラムの1行1行を専用カードに自分で穿孔して、その束を計算機センターの職員に預けていました。数時間後、いそいそと結果を楽しみに出力プリント用紙を受け取りに行くと、たったコンマ記号ひとつ打ち間違えただけでもなにも出力されず、無情のエラーメッセージだけが印刷されたときの、とてつもない疲労感。思い出すとなんだか懐かしいなぁ(^_^;)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私はゲイツよりも五歳年下である。しかし慶應義塾の一貫教育に育ったおかげで、中学に進んだ一九七三年から大学の大型コンピュータ施設へのアクセスを許された。だからゲイツが大学に入る頃のコンピューティング環境がどんなものだったか、身体がよく覚えている。 、 。 、

 プログラムを書くとその一行ごとに紙カードを一枚作るのだ。放課後、紙カード穿孔機が二〇台くらい並ぶプレハプの穿孔機小屋に行って順番を待つ。紙カードの束を背負っ て地下室に降りていく。作ったプログラムをコンピュータに通してもらうために大学生たちに混ざって順番を待つ。カードリーダーがプログラムを読み込む。大型プリンターの前で出力を待つ。結果がパタパタと印刷される。どきどきしなら読む。紙カードを作ったときのタイプミスがあれば、コンピュタは無情にもエラーメッセージしか出さない。そうなればまた穿孔機小屋に逆戻りだ。アルゴリズムに瑕疵があって無限ループ(永久に終わらないプロラム)なんか作ってしまえば、割り当てられた口座の予算が簡単に吹飛んでしまう。そんなふうに来る日も来る日も、穿孔機小屋と地下室のあいだを往復していた。いつも順番を待ってばかりいた「えっ、何?,コンピュータを家で持つことができるの?」「それで好きなときに好きなだけ、使うごとにお金なんてかからずにコンピュータが使えるの?」
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 当時、コンピータに熱中した世界中の少年たちは、ゲイツと同じようにパーソナルコンピューティングという時代の息吹に感動したのである。大学院に進んで基礎を固めなければ何も始まらないパイオテクノロジー等と違って、コンピータは独学が効く。だから今も昔も、少年たちはコンピュータにのめり込んでいく。

 マイクロソフトが生まれて三〇年。その間に信じられないほど技術が進歩した。一七
〇年代の「共有財産としての大型コンピュータ」の何億倍、何十億倍という性能のコンピューターを、私たちは今一〇万円足らずで買うことができ、コンピュータを一人で何台も所有する時代になった。

 グーグルの二人の創業者ラリー・ページとセルゲイ・プリンが生まれたのは一九七三年である。マイクロソフトが創業されたときにはまだ二歳。彼らが中学に上がる頃といえば一九八〇年代半ば、もうパソコンが家庭に存在するのは当たり前になっていた時代である水や空気の存在に誰も感動しないように、彼らはゲイツとは違って「コンピュータを私有できること」自身には感動しなかった。では彼らは何に感動したのか。

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電子情報の進化は急速です。スマホタブレットはうまく操作できるが、パソコンはさわったことがないという若者も増えているとか。ウェブ進化のこの先は、どうなって行くのでしょう?