4月中旬ごろ、食欲がやや減退、それなのになんだかお腹が出てきたように思います。
4月15日、なかなか食欲が戻らないため、昨年、大腸検査をした”いいだ内科”を受診。精密な検査が必要なようで芦屋の”セントマリア病院”でCTを受けました。
セントマリア病院から帰宅後、いいだ内科から電話があり、すぐに来るように言われ、行ってみると大きな病院にすぐ行くようにと紹介状を渡されました。腹水が溜まっている状態であり、どうやら癌の可能性が高そう・・・
16日神戸の中央市民病院へ。造影剤、X線撮影などを行う。
18日も神戸の中央市民病院で胃内視鏡検査。足に痛みがあったので足のレントゲンを撮りました。
足の骨に癌が転移しているのならやっかいだなと心配に。
足の結果はすぐ出て、足は異常なしで、単なる筋肉痛だったようです・・・!
このころから、固形物がのどを通らなくなり、水分もなかなか取れなくなってきてしまいました。
21日、飲食ができず、どんどん悪化する体調にもうこれは癌で間違いないと思ったので、今年マンションの理事長になる予定だったのですが、理事会に出席しお断りさせてもらいました。ちょっと肩の荷が降りました。
次回の市民病院の予約が30日の予定で、その時に正式な診断名を聞き今後の治療方針を決める予定だったのですが、水分が取れておらず、それまで持ちそうになかったので、21日正午に救急車で中央市民病院に搬送してもらい入院することになりました。
23日、もともと30日に予定していた正式な診断を、妻と浦和から駆けつけてくれた娘と一緒に主治医から聞きました。
病名は胃がんのステージ4。腹膜まで転移し、腹水もかなり溜まっているとのこと。
16日の検査の時から比べると、かなりの速度で癌が進んでいるようです。
私は以前からそのような場合、積極治療は行わず緩和ケアを受けたいと思っていました。
もし延命治療をせず、緩和ケアで栄養の注入などは行わずに水分の点滴のみだと余命は1ヶ月ほどとのこと。
迷わず緩和ケアを望んでいることを主治医に伝えました。
それからは、緩和ケアがはじまり、腹水を抜いたり、苦痛を減らす薬で苦痛を感じず小康状態を保っています。
今後は緩和ケア専門の病院に転院できればと思っています。
自分が、これはかなりよくない状態だと覚悟が決まったのが4月15日。
そこから遺言書の作成、「70歳をすぎた親が元気な内に読んでおく本」に対する答え、事前指示書を大慌てで作りました。
なんとか体力のもつ内に残された家族が困らないように準備することができたので、とても安心しました。
家庭教師をさせていただいているご家庭にも連絡をし、事情を説明いたしました。
お引き受けした家庭教師を最後まで続けることができず申し訳なく、とても心残りです。
このような状況ですが、キノシタはとても穏やかで心安らかな気持ちでいますので、どうかご心配なさらないでくださいね。
(この記事は入院中に娘チエに口述筆記してもらいました。大作家みたいでしょ…!)
【追記 2024/5/1 】
娘のチエです。父より連絡があり、追記を書いています。
この記事を読んで、父のLINEなどへメッセージを送ってくださったお知り合いや元教え子の方々がいらっしゃるようです。本当にありがとうございます。
ただ、父は現在メッセージは読めても返信するのは難しい状況にあります。せっかくメッセージをいただいたのに返信をせず、大変申し訳ありません。いただいたメッセージを大切に読ませていただいて、父もとても喜んで感謝しております。
もし、父へのメッセージなどあればこちらのコメント欄にいただきますと、父に全て伝えます。コメントの公開をご希望されない場合はコメントにそのようにご記入くださいますと公開せずに父にのみ伝えます。また、公開させていただいて大丈夫な場合で、お名前を載せたくない場合はイニシャルなどでご記入いただけますようお願いいたします。
また、面会やお見舞いは全てお断りしておりますので、ご理解いただけますと幸いです。
父は周りが驚くほど幸せそうにニコニコと入院生活を送っております。飲み物が飲めるようになってコーヒー牛乳やカルピスを「うまい〜!うまい〜!」と飲んだり、しょうもない冗談を言って看護師さんを笑わせたり。このような状況でもいつもの父らしく日々を楽しんで過ごしていますので、この記事を読んでくださった方もどうか心配しすぎず、いつもの日常を楽しんで過ごしていただくことを父も願っています。
また、病状等こちらのブログでご報告いたします。