東山彰良さんも「エルモア・レナード」ファンでした(^^)/

少し前、村上春樹さんがエルモア・レナードを高く評価している、ということを書きました。

その後、作家の東山彰良さんも、熱烈なエルモア・レナードのファンだと判明しました。

ジョン・ラッセルは無口な奴[レビュアー]>のタイトルで、村上春樹訳の『オンブレ』を紹介。その中で僕と同じように「村上印のエルモア・レナードを読める日がくるなんて、いったい誰に想像できただろう。」と、その驚きと喜びを熱く語っていられます(^_^)

(https://www.bookbang.jp/review/article/547379)
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 私には小説を書くうえでどうしてもふり払えない作家が数人いる。彼らは折に触れて私の仕事に口を出し、ときに冷笑を浮かべ、ときに拳骨をふりまわし、唾を飛ばしてわめき散らす。私はいつもまるで一兵卒のように気を付けの姿勢を崩せない。そのような存在をおそらく神と呼ぶのだろうが、それとも少しちがう。なぜなら、作家なんて死ねばどうせ地獄へ堕ちるのだから、彼らが神であるはずがない。

 私にとってのエルモア・レナードは、やはり鬼軍曹のような立ち位置かもしれない。新兵時代にレナード軍曹にさんざんしごかれたおかげで、どうにかこうにか今日まで作家業という戦場を生き抜くことができた。意表を突くユーモアや緊迫した場面でのはぐらかし方、愛嬌ある人物像、清濁併せ呑む生き様など、すべてレナードの現代犯罪小説から学んだ。もちろん、めいっぱい楽しみながら。そのうちのいくつかは苦労しつつ原文でも読んだ。もしもレナードの小説に出会わなければ、そもそも作家になることすらおぼつかなかった。

 そんな敬愛するレナード先生の作品群のなかで、これまで手を出せずにいたのが初期の西部小説だ。理由は簡単。邦訳されていなかったから。私は本書『オンブレ』のみならず、彼の他の西部小説もペーパーバックでちゃんと持っている。しかし英語が不如意なので、それらを原書で読むのに必要なだけの覚悟をかき集めることができなかった。そんなわけで、このたびの翻訳刊行は私にとって望外の喜びだ。ぶったまげてしまった。村上印のエルモア・レナードを読める日がくるなんて、いったい誰に想像できただろう。
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