「本屋図鑑」(夏葉社)

全国有数の書店、ジュンク堂。第1号店は神戸三宮です。その1号店は、三宮センター街にあったダイエージーンズ専門店「JOINT」の地階にあったようにおぼえています。ずいぶん広かったなぁ。

次にできた国鉄三ノ宮駅東側のジュンク堂サンパル店は、さらに広く、あらゆる本を網羅していて、夢のような本屋さんでした。いまのジュンク堂三宮駅前店の東隣のビルでした。週に1回は通っておりましたね。

30年以上前のことですから、当時の記憶が薄れておりましたが、得地直美・空犬太郎・島田順一郎「本屋図鑑」(夏葉社)の「ジュンク堂書店サンパル店の話」の頁を読むと、外商部時代から顔なじみだった毛利さんのお名前も出てきて、当時のあれこれが思い出されます。あぁ、懐かしい〜! 


本屋図鑑

本屋図鑑

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「とても変な本屋だった」。ジュンク堂書店サンパル店のオープン直後に、店を訪れた人の感想だ。

 店ができたのは一九八二年JR三ノ宮駅の東側にあるサンパルビルに入ったが、当時、そのあたりは区画整理が進んでおらず、バラックなどがまだ数多く立ち並んでいた。

 ジュンク堂書店の外商部に一九八三年に入社した毛利聡さん(現在はMARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店店長)は、そのころのことをこう話す。

 「サンパルビルの三階に三〇〇坪の立地でした。俯跛してみると、ほぼ正方形だったと思います。すぐ近くにはジュンクの三宮店があったので、その店との違いを出すために専門書を徹底してそろえていたんです。壁に面している棚ではなく、通路をつくる棚、これらは『中立ち」と呼れているんですが、それらすべて天丼まで届いていました。棚に差さってるのは、ほとんど専門書。通路もいまのジュンクよりずっと狭かった。お客さまは見上るようにして、本を探してました。コミックは置いていなくて、学習参考書、児童書もほとんありませんでした」

 いまのジンク堂書店を知っていれば、サンパル店を想することは、そんなに難しいことではない。けれど、三〇〇坪ですら大型書店といわれていた当時のことを考えたら、その品ぞろえはやはり異質だ。複数のフロアで展開していたのではない。文字通り、ワンフロアのほとんどを専門書が埋めていたのだ。

「数百冊の『大日本史料』がずらと並んでいたのをよく覚えています。国土地理院の地図もありましたが、それよりも都市整備公社つくた二五〇〇分の一の神戸市の地図あって、それらをすべて扱っていました。神戸市の全区画ですらすい量でしたよ。引き出し式の棚何列も店に並んでいました」

 店には写真などを展示できる広い喫茶コーナーあり(軽食をとることもできた) バルコニーもあって、そこには子も乗って遊ぶための汽車走っていたというから、驚きだ。

 一九九〇年前半、大学時代にサンパル店に通っていたという、中村洋司さん(ジュンク堂書店池袋本店店長)が思い出す風景もやっぱり専門書にまつわるものである。

 「大学の先生が退職の記念に論文集などを出されますよね。一万円以上するようなそうした本がサンパル店には並んでいて、よく見にいってましたね。あとは講談社学術文庫ちくま学芸文庫の在庫の有無を確認しにいったり。本当に図書館のようでした。でも、なんでサパル店のことを知ったのか覚えていないんです。それくらい不便な、わかりにくい場所にありました」

 そのこたえは、毛利さんが教えてくれた。「最初はお客さんも少なかったんです。はっきりいって赤字でした。でも、大学の先生がほかの先生を連れてきてくれたり、生徒を案内してくれたりしたんです。そのロコミ効果のおかで、年々お客さんが増えていきました。本が好きな人にとって、隠れ家のような店だったのかもしれません」

 いまや日本を代表する書店の一つとなったジュンク堂書店の、創世記ともいうべき話である。

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 本好きのために、これからもジュンク堂さんがんばって!