大学生時代から続けているこのお仕事、50年以上になります。
はじめたころは、生徒さんにとって勉強を教えてくれるお兄さん的存在だったでしょう。夏休みになれば、生徒達を信濃森上(JR大糸線)の学生村に引き連れて毎年勉強合宿。涼しい午前中は勉強、午後は自由時間、夜はまた勉強のスケジュールでした。民宿(毎年同じ「塩島」さん宅)の畑でとれるトマト西瓜トウモロコシの美味しいこと!
今から思えば、教える技術はそれほどでもなかったはずです。でも、なんとかして成績を上げたい熱意というか情熱はきっとあったので、それが彼らに響いて多くの生徒に囲まれました。
そしていつのまにか、生徒のご両親とほぼ同じ年齢になり、勉強を教えてくれる親戚のおじさん的存在になりました。経験も積んで、生徒に応じて教材の組み立て方や教え方を変えられるようにもなりました。医学部受験希望者が多くなりはじめ、ハイレベルの数学をいかに分かりやすく教えるかにも努力した時期でした。
さらに年月を経て、生徒たちのおじいさんに近い年齢になりました。保護者のその親とほぼ同じ年齢です。ご両親からさまざまなご相談を受けることが多くなりました。
また、長い目で生徒の成績向上を考えることもできるようになりました。気が長くなったと言うことでしょうね。
目先の成績よりも、長いスパンでほんとうに考えることができる力をどう身に付けさすか。人生100年時代、生徒さんが自分で自分を一生学習させる能力をどう育てるか、をテーマとするようになりました。なぜ、そう考えるようになったのか。その理由は、また機会を改めて書きたいです。
先月70歳になりました。僕を育ててくれた多くの生徒さん達に感謝します。