ときどき、算数の家庭教師をしてもらえませんか?という依頼をされることがあります。大学入試の難しい数学を教えられるんだから、小学校の算数くらい教えられないはずがない、と思っておられるのかもしれません。
しかし、10歳前後のお子さんの発達段階や理解力に応じて、説明の方法を切り替えることは易しいことではありません。また、一部の難関中学の入試問題はハイレベルです。それをどのタイミングでどのようなヒントを提示して解説するのか、相当な工夫が必要です。
栗田哲也さんの「親と子の算数アドベンチャー」(東京出版)のあとがきを読んでいたら、学生時代に塾で算数を教えていたことを思い出しました。
塾の名前は「阪神受験研究会」。私が働いていたおよそ50年前には、神戸三宮・西宮甲子園口・大阪玉造の3校のみでした。浜学園よりも多くの難関中学合格者を生んでいました。その後最盛期には、大阪・兵庫・奈良・和歌山に約20校で5000人ほどの生徒が在籍するマンモス塾になったようです。
塾で働いていた当時の私も、小学生を教えながらこの「あとがき」と同じようなことを感じていたの覚えています。
.................. あとがき 引用 .................
本書の元になる連載をした頃、私は結婚したてで、子供はいませんでした。ですから、 この本は私と子供との対話を通じて生まれた本ではありません。むしろ、昔父親に算数を習った経験などを元に、連載をしていました。私はいわゆる都市部の有名中学出身者ですが、小学生時代に塾に通った経験がありません。大学生になって塾教師のアルバイトをするまで、塾でどんな教え方をするのかは全く知りませんでした。いざ、塾で教え出してみると驚くことばかりです。へぇ、この問題をこのやり方で解かせるんだ(いやはや、子供たちがかわいそうだな)、こんな風に教えれば子供はもっとできるようになるのに。何でマニュアル的な教え方ばかり幅を利かせているのかなあ。
まぁ、若気の至りでそう感じた部分もあるのですが、そのうちにもっと本質的な部分に気づいてきました。つまり、優秀な塾の先生たちは、仮に良いやり方を知つていても、一度に数十人を教えるという営みの中では、1人の子供とじつくり納得の行くまで対話する暇が無いのです。実際、その後知り合った塾の先生の中には、マニュアルにとらわれずに手作りの優秀な授業をしょうとしている人が何人もいました。でも、その恩恵を受けられるのは、その先生が今年はこの生徒と心ひそかに決めた少数の生徒だけで、後の生徒は対話の少ない大きな教室に、一律の授業を受けて放っておかれるわけです。
これは可哀想だ。やはり親なり家庭教師といった十分に子供を把握できる人が、対話をしながら彼らの疑間に答えていってやらないと、そして彼らの導き手と成ってやらないと。でも、昨今は、親にも算数は難しすぎて訳がわからないと言うしなあ。
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『これは可哀想だ。やはり親なり家庭教師といった十分に子供を把握できる人が、対話をしながら彼らの疑間に答えていってやらないと、そして彼らの導き手と成ってやらないと。』……全く同感です!
塾の指導にうまく適合する児童がいる半面、そうでない子どもさんもいて、その子達には解法パターンを押しつけるのではなく、個々にうまく対話を重ねながら自分で考える力を付けるようにしなくてはなりません。
ほんとに、算数の家庭教師は難しいのです。