竹内一郎『人は見た目が9割 「超」実践篇』(新潮文庫)

教師は、教室という劇場で生徒という観客を目の前にして演じる主役でもあります。

人は見た目が9割 「超」実践篇 (新潮文庫)

人は見た目が9割 「超」実践篇 (新潮文庫)

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「子どもによい表情を見せる」という心がけは、つまるところ″余裕″ のなせる業である。仕事でいっぱいいっぱいの母親は、保育園に子どもを迎えにくるとき疲れきつた表情をしている。ちょつとしたことで、子どもを怒鳴りつけたりしている。余裕がないのだな、と思う。横で見ていて「つらい」と感じることもある。彼女たちの多くは、会社では恐らく潑剌と働いているのだろう。会社で潑剌、育児のときも潑剌というのは難しいことだと思う。基本的に″余裕のある就職″を考えている人が、子どもによい表情を伝えられている気がする。
 私は育児という″仕事″をもっと社会が評価するべきだと考えている。育児とは、日本の将来を作る仕事である。一日中パソコンの前で無為にすごしている人はどこの会社にもたくさんいる。給料をもらっているだけで、何も生みだしていない人に比べたらきちんと育児をしている女性のほうが、よほど立派だと思う。また、育児は母親だけの仕事ではない。
 私は結婚後最初の10年間は、芝居に自分で得た収入を注ぎ込んでいたので、いわばヒモ暮らし同然だった。まだ、専業主夫という言葉も一般化していなかった時代である。専業主夫だったから、保育園に子どもを預ける母親の姿、引き取りに来る母親の姿をたくさん見ることができた。″働く女性 ″の仕事以外の部分を見たからわかってるいこともあり、こういう文章が書けるのだろう。
 話が少しそれたかもしれない。ともあれ、親になるということは、子どもによい表情を伝えるのも″仕事″と考える必要がある。
 それ以外に 出生率の低下も表情の習得にはマイナスに働いている。兄弟がふたり以上いれば、いやでもコミュニケーションをとるのだが、ひとりっ子では話す相手がいない。コミュニケーションカの低下は、すでに指摘されていることだが、表情を学ぶ機会も減っているのである。現実的には、自分の力で兄弟を増やすことはできないからその事情は受け入れるほかない。
 だからできるだけ表情の豊かな人と接して、「ミラーリング(姿勢反響)」する癖をつける必要がある。また、学校の先生たちには、意識して表情を豊かにする工夫をしてほしいと思う (負担が増えて申し訳ないとは思うが)。

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 やや無表情な先生もたまにおられます。僕も、喜怒哀楽がそれほどはっきり出る方ではありません。心がけているのは、いつも"機嫌の良い先生"であるということですね。