「おこだでませんように。」

家庭教師として学習指導を始めるころ、なかなかこちらの言葉が届かない・響いていないなぁ〜、と感じるお子さんにたまに出会います。

幼いころから、自分の言い分をしっかり受け止めてもらえない体験を繰り返すと、心を閉ざしてしまう傾向になるように思います。もちろん、お子さんの性格にもよるので、一概には言えませんが。

このような場合、学習指導と並行して信頼関係を築くことも必要です。些細なことでも、生徒の言葉をていねいに聴くこと。たとえ、なにが言いたいのかよくわからないことをしゃべっていてもです。


和久田ミカさんの『叱るより聞くでうまくいく子どもの心のコーチング』(中経の文庫)に、こんなことが書かれていました。

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親から怒鳴られたり、小言を言われたりしたとき、子どもはよく「だつて……」という言葉を言います。この言葉のあとには、たくさんの子もたちの「思い」が隠されています。ぜひ耳を傾けてあげてください。子どもの心はほっこりと満たされていきます。

でも、親の立場で「だって」という言葉を聞くと、ムカッとするんですよね。「言い訳しようとしている!」とさらに声を荒らげてしまいがち。でも、子どもの「だって」をさえぎるのはもったいない。せっかくの子どもの「思い」が聞けなくなってしまいます。

  第55回青「少年読書感想文全国コンクール」でこんな作品がありました。

  「おこだでませんように。」

 学校で先生が読んでくれたとき、たくまとおんなじやと、思った。
 ぼくもいつもみんなにおこられる。石をけとばしながら学校から帰る。
 妹がないたら、いつもぼくのほうがじゅんや兄ちゃんにおこられる。
 お母さんにもお父さんにも、ぼくはおこられる。
 「だってなあ」
 とせつめいしたら、もっとおこられる。おこられたらものすごくかなしい。
 なんでたくまの言うこと聞いてくれんのやろと、かってになみだが出てくるときもある。
 だから、さい後にたなばたさまがねがいをかなえてくれて、先生もお母さんもやさしくなったとき、やったあ、と、ぼくもいっしょにうれしかった。
 知らないあいだに、本に出てくる「ぼく」の気もちになっていた。
 この本がすきになったから、かってもらって、お母さんに音読してあげた。
 本に出てくる「ぼく」の気もちになって、一生けんめい読んであげた。
 そしたら、「たくま、なんでママに読んでくれたん」と、お母さんがないたから、びっくりした。上手に読めたなあと、ほめてくれると思ったのに。
 それから、「 ママもたくまのことおこってっばっかりやたなあ。ごめんな。」と言って、だっこしてくれた。
 本とおんなじやなあと思っていたら、妹がやってきて、いっしょにだっこしてもらった。
 ますます本とおんなじやあと、思わずわらってしまった。本とおんなじしあわせな気もちだった。
 おこらんてうれしいなあ。やさしいお母さんていいなあ。
 たなばたさまのおれいでなくても、ぼくも「もっともっとええ子」になろう。
 ないてやさしいお母さんより、わらってやさしいお母さんはもっとええもん。
 「たなばたさま、ぼくはおこられんような、いい子になれるようにがんばります。」
 ぼくはひらがな、ちゃんとかけるよ。

(「おこだでませんように」を読んで2年大平拓真) 出典 『考える読書¨第55回青少年読書感想文全国コンクール入選作品小学校低学年の部』全国学校図書協議会・編 毎日新聞社・発行


「だってな」と言ったときに、まわりの人がじっと耳を傾けたら子どもの心は安心し、うれしさでいっぱいになります。言い訳だっていいのです。ヘリクツだっていいのです。そこには子どもの思いがたくさん詰まっています。
大人になるとついつい、「自分のことをわかってもらおう」という気持ちが強くなり、子どもの「わかってもらいたい」が見えなくなるときがあります。でも、子どもにもたくさんの「わかってもらいたい」があるのです。
 「だって」の奥にある子どもの気持ち。「悲しかった」「くやしかった」「不安だった」「もどかしかった」という感情。じっと聞いていたら何が伝わってくるでしょう。心を静めて一緒に感じてあげてくださいね。

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この本は、小学生低学年以下をもつ保護者を対象としてます。しかし、案外、一部の中高生の指導にも参考になりますね。